『ラーゲリより愛を込めて』から、受け取った希望

 映画『ラーゲリより愛を込めて』は、2022年に上映された、戦後の強制収容所(ラーゲリ)での話だ。でも、戦争した人だけでなく、今生きる人へ送るメッセージを抱えた作品である。

 このブログの「ただ生きてるだけじゃだめなんだ」という言葉は、この映画の中で松田さんが言ったセリフである。そして、続けてこう言う。

「それは、生きてないのと同じことなんだ。俺は卑怯者(臆病者)をやめる!山本さんの様に生きるんだ!!

なぜ、この状況で生き方を語るのか?

 松田さんは物語の中で、まるで家畜のように自由を奪われて、命の危険も感じながら、過酷な労働をさせらている。そんな中、自分の生き方を変えると宣言しているのだ。普通なら、とにかく、生きながらえたい!と思うところまでで精一杯になるはずだ。

 一方、私達は今、物があふれる自由な世界で、命を奪われる心配もなく、豊かに生活している。しかし、そんな余裕があっても、自分の生き方についてなど、誰も語らない。重要視しているとは思えない。

「あの人の生き方を見習いたい!」 

「この子をどのような人に育てようか?」

というような話を身近でも聞いたことがない。よく聞くのは、 

「あの人のように成功して、お金持ちになりたい!」

「この子にどう勉強させれば、高学歴、高収入が叶うだろうか?」

という話だ。つまり、現代社会も、とにかく、生きながらえるために、お金を稼ぐことで精一杯の様な感じだ。

 では、なぜ、生き方について考えたのか?

 一つは、主人公の山本さんの生き方に触れ、心動かされたからだ。山本さんがその生き方で、日々の言動で示している価値観に強く惹かれ、共感させられたからだ。

 もう一つは、死と隣り合わせになって、残り少ないかもしれない自分の命について考えてみた時、この尊い命をどう使うかに焦点が当たったのだと思う。または、今までこれだと思っていた「生きている意味」を見失って、絶望して、初めて何のために生きるかを1から考えざるを得なくなった時、命の維持よりも、命の使い方(=生き方)の方が優先されたのだろう。

 命を尊く思いつつ、その命をかけても大切にしたい価値観に気付いたのだ。その価値あるものの為に行動を起こす、という命の使い方だ。ここには、強い自分の意思が働いている。また、自分の命も、どんな仲間の命も、同じく大事にしないといけない、という強い思いも伝わってくる。

たくさんの仲間も心動かされる

 そして、松田さんはこの後、山本さんの命を救うため、自分の命を懸ける行動に出る。たった一人で。

 すると、それを知ったたくさんの仲間達までも、一緒になって命を懸けて、加勢するのである。松田さんと同じく、山本さんを救いたい、山本さんの様に生きたいと思わされたのだ。

 いつも、仲間に生きる希望を与え、励まし続けてくれた山本さんに対して、今度は仲間たちが生きてくれと励ます歌を合唱し始める。鉄砲を向けられながらも。

 山本さんの生き様が、多くの人に影響を与え、生き方や価値観を変えた。無理やり教えたわけでも、お願いしたわけでもなく、希望をもつ方向へ生き方を変えられたのだ。さらに、この人々がまた、家族や友人、同僚、後輩達に同じ様に影響を与えられただろう。山本さんが松田さんへ、松田さんが仲間達へと広められたのだから可能性はある。

ただ生きてるだけじゃだめだから

 この人達が自分の生死だけでなく、山本さんの様な生き方をしようとしたのはなぜか?その答えが、「ただ生きてるだけじゃだめだから」である。山本さんの様な生き方を自分もしてこそ、生きる希望につながるからである。

 それは、自分の恋人や家族のためだけに生きる生き方でもない。例えば、最愛の妻に再会する為に生きていた相沢さんが、その妻の死を知って自殺しようとした時に、山本さんはこう言う。

 「それでも生きろ!そこに希望はあるから!」

 ”今、ここ”で関わり得る、全ての人々と、互いに希望(愛)を与え合ってこそ、本当に生きていると言える、ということだろうか。また、自分自身の為にだって、生きているんだから、ということだろうか。

山本さんの生き方とは?

 では、山本さんの生き方とは、どういう生き方なのか? 

 このお話は、事実に基づいている。実際にいた人だ。後世にまで語り継がれるこの人の生き方は、多くの人が心惹かれたはずだ。一体、何に惹かれたのだろう?

 私が山本さんに一番感動した場面は、原さんを許すシーンだった。山本さんにとって原さんは信頼する上官だった。しかし、収容所から出られて、帰国できると喜んでいた矢先に、無理やりまた収容所に戻された時、それが原さんのついた嘘のせいだったと知る。上から強制されたとはいえ、原さんは山本さんを裏切り、自分の帰国の為に、山本さんを犯罪者に仕立てて引き戻させたのだ。慕ってくれた後輩に対して、浅はかな態度だ。自分さえよければ、他人はどうでもいいのか?と恨まれて当然だ。

 私はこれをどう許すのかな?と思った。この現実を受けて、これからどうやって人を信じ、愛せるものだろうか?と。実際私自身、人から、「自分さえよければいい、自分の子どもさえよければいい」というような浅はかな態度をとられて、信じられなくなったり、嫌いになったりしたことがある。もっと言えば、一方的に酷いことをされて、どうしても許せなくなった人もいて、とても苦しんだ。

 さすがの山本さんも、しばらく人と距離を置き、考え込んでいる様子だった。でも、その後、原さんを許した。原さんの方が驚いていた。どう許したかというと、「原さんがそうせざるを得ない状況だった。きっと、原さんのせいではなく、そうなるべくしてなった」と受け止め直して、マイナスの感情を全て受け流してしまっていたのだ。そして、ここから原さんとどういう関係になりたいのか、に視点を当てている。再び良い関係を築く様に、自分から関わっていくのだ。ここが、本当にすごいと思った。

 

 物語の後半、病気になり、人生の最期が近いと知った山本さんは、

『人間が生きる』ということは、どういうことか分かった。

と病室でつぶやく。そして、我が子への遺書の中で、こう伝えている。

最後に勝つものは、道義と誠と真心である。立身出世など、どうでもいい。”

 私なら、未来を担っていく子ども達に、生きる上で最も大事なことを伝えたくなる。だから、ここに「人間が生きる」ということについて、最重要なことを書いていると思う。

 道義とは、人として守るべき正しい道。

 誠とは、言葉や行動に嘘がないということ。また、誠実で偽りのない心。

 真心とは、真剣に他に施し、つくす心。

 これをふまえて、山本さんの生き方の教えをまとめてみる。

 ”人間が生きる”というのは、まず、”希望を持っている”ということ。そして、その希望とは、「人として守るべき正しい道を進み、誠実で言葉や行動に嘘偽りがなく、他者に心から施しつくすこと」ができてこそ、持ち続けられるものである。そういう生き方を大事にせず、立身出世を果たしても、何の価値も感じないものだ。

山本さんからの希望を受け取って、それを持ち続けること

 人間のもつべき希望とは、「人は互いに、大切に思い合いながら生きることができる」という希望。「人間は、本来は、お互いに愛をもって、調和しながら生きたい生き物」と信じぬくこと。でも、それを忘れて生きてしまいやすい性質を持っている。そして、それを思い出そうと模索しながら、生きているもの。

 だから、本当の自分を生きるなら、「お互いを尊重し、調和しあえる」希望を実現させるために動くことだ。それにはまず、自分が正しく、誠実で、他の人のために何かできる生き方ができるようになること。目の前の現実において、自分が関わっている人達に対して、どう行動すればこの希望が叶っていくのか?を考えていくことだ。そして、それを見て、周りの人達がまた刺激されて、同じように生きられるようになっていく。絶対に、バカをみて終わることはない。人間の本質に合った生き方なのだから。

 こう、教えられた気がした。私は映画『ラーゲリより愛を込めて』の中で、「山本さんが込めてくれた希望」を受け取った。そして、その希望を叶えるための行動を起こしていく一人になった。日々、あれこれ葛藤するが最後に向くべき方向は分かった。

ただ生きてるだけじゃだめなんだ。すぐ忘れやすいものだけど、本当は、人は互いを尊重して、調和して生きたいと思っているんだ。だから、まず自分が、正しく、誠実で、他に貢献して生きることが希望になる。

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