『ラーゲリより愛を込めて』の主題歌、『Soranji』という曲もまた、映画と同じくらい心にグッとくる。
私はこの曲から、ミセスグリーンアップルのファンになった。メロディー、歌唱力、メンバーの音楽性、人間性がとっても魅力的で、歌詞には味わい深さがある。老若男女問わず大人気で、繰り返し聞かれるのも、納得がいく。
今回は、『Soranji』の歌詞から、私の探った”人間というもの”について書いてみる。
「あなたに会いたくて 生まれてきたんだよ」の”あなた”とは?
あなたに会いたくて 生まれてきたんだよ 今、伝えたいんだよ
私はただ わたしはまだ…
みなさんはこのさびの中の「あなた」は、誰だと思っただろうか?私は初め、自分の大事な人のことだけだと思っていた。しかし、映画の主人公、山本さんの生き方を知って、もしかしたら、”最愛の人”だけではなくて、”人生で出会う全ての人”ともとっていいのかもしれないと思えた。
つまり、”人間というもの”は、(自分以外の)人間に出会うために生まれてきている、と言えるのではないだろうか?
人間は、一人では生きられない生き物
人間の赤ちゃんだけが、生まれてから長い間未熟なままだ。成人になってからも、群れで生きないと、他の野生動物よりも身体能力が低いので生存が難しかった。だから、人間という生き物は、生まれた時からずっと、必ず他の人間と関わって生きる運命にある。
それを逆に言えば、人は人と関わるために生まれてきている。そして、どう関わりたいかといえば、互いに大切に思い合いたい、愛し愛されたいと思って、生まれてきていると言えるのかもしれない。
例え、良い関りにならない人がいたとしても、「人に関わりたい」という願いは叶っている。人間というものを知る学びにはなっている。自分の人間性の糧にはなっていく。
『ラーゲリより愛を込めて』の山本さんは、「あなたに会いたかったよ!会えてよかったよ!」という喜びや感謝の気持ちをもって、どんな人とも接していたように感じる。また、出会いは運命的なものとして用意されていた、として受け止めていたようにも思える。つまり、そのタイミングで、その状況で、その立場で、その人とは関わることになっていたんだ、と出会いを肯定的に捉えて、人生を進んでいく。嘆いたり、拒否したり、悔んだりも、人生を彩る一つの経験とする、潔さがある。

まだ伝えてないよ ”今日の分”の「大好き」を
まだ伝えてないよ 今日の分の「大好き」を
未来でも変わらず 届けられますように
この歌詞の、”今日の分の”というのが素敵だ!!毎日欠かさず、「大好き」を届けながら、生きたいというところ。人を大切にしているのが、一番分かりやすい行動だと思う。今、家族の内ですら、こういう思いが薄れてきてはいないだろうか?
別に、「大好き」と言わなくても、それが伝わればいいのだ。時間やお金をかけなくても、伝わる。朝起きてすぐ、目を合わせて、「おはよう!」と笑顔で言うだけでも通じるものだ。ハグまでしなくても、肩をポンポンとしたり、ちょっとしたちょっかいで笑い合えばいい。日々やるのだ。互いに、励みになる。この日は生きてなくて、この日は生きてる、ということはない。つまり、日々感じとる心は生きているのだ。だから、一日一日、欠けない、安定した愛情表現が信頼になっていく。疲れたし、今日はみんなを無視でいいという態度は基本受け入れられない。疲れるほどやってることよりも、日々共に過ごす人にどう接しているかを本来大切にしたい。

「我らは尊い」 だから、生きて欲しい!
有り得ない程に キリがない本当に 無駄がない程に 我らは尊い
誰しもどこかに弱さがある様に 無駄がない程に 我らは尊い
「我らは尊い」という歌詞に、前の部分の歌詞が全てつながるとしたら、こうなる。
私達はみな、その存在は奇跡のように、有り得ない程に尊く、挙げれば本当にキリがない程に尊さがあり、無駄がない程にどんな部分も、弱さですら全て、尊くできている。
この世の中、この先の未来には、あなたが出会いたい人がいるように、あなたに出会いたい人も必ずいる。人間というものは、一人残らず、誰かが会いたい人であり、関わり合いたいと思われる存在。世界にたった一人しかいないし、今にしか存在しない、唯一無二の存在。だから、生き続ける意味があるのだ。
さて、自分のことも、他者のことも、こんな風に尊く思って生きるって、どんな風かを考えてみよう。かわいい赤ちゃんを見て、ただ寝ている様子だけでも愛おしい、大切に関わってあげたいと思う様に、どんな人間のことも尊くみられるようになる、というようなことだろうか。
人間は「互いに弱さをカバーし合って成り立たせる」生き方
人間はたった一人では生存できないということは、誰かが誰かの弱さをカバーする形で生きていくということ。つまり、自分の弱さをカバーしてくれる力をもった人が存在していて、また、自分がカバーしてあげる役割を果たせる、弱さを持ち合わせている人が存在するということ。弱さを言い換えれば、不得意ということ。人それぞれの良さ(得意、才能など)が他者の不得意な面に活かされ、他者の良さが自分の不得意な面に活かされて成り立つ。仕事でいうなら、分業だ。他の動物より、人間のそれぞれの個性を際立たせたのは、互いに協力させるためかもしれない。
そうやって成り立つのが人間の本来の世界。だから、一人も欠けていいはずはなく、命ある限り生きて欲しい存在だということ。弱さ、不得意があるのが人間だから、それでダメな自分と思わずに、「誰か助けて。よろしく!」と頼って感謝すればいいし、「私が何かできることがあれば、頼ってね!得意が活かせたら嬉しいから。」という感じでいいのでは?

人に寿命という時間の制約があり、肉体の未熟さや老化という活動の制約があり、また、生きるのに必要な、地球環境、自然の恵みも破壊されたり、尽きてしまったりするという制約もある。これらの制約の中でも、多くの人が幸福に暮らすには、今たくさんできる人が少ししかできない人の分を助けたり、それぞれの得意を合わせたりして、みんなで協調して、何でも全体的に可能にしていくしかないはずだ。
しかし、この大前提は今、お金と物への欲で見えなくなっていると思う。それぞれバラバラに、私利私欲で動けば虐げられる者と虐げる者がやり合って、成り立たなくなって、破滅もあるだろう。
「お金が全部解決してくれるから、お金さえあれば人とは関わらなくていいし、お金以外に感謝しないし、私は誰も助けないから」っていうのは、やっぱり間違っている気がする。いつか、お金の価値を無くすまで、人の価値に気づかないのかな。私は、ゴミを回収してくれる人にも、レジをしてくれる人にも、お金を払っているとはいえ、外食で美味しいお料理を作ってくれる人にも、バスを運転してくれる人にも、スマホやマグカップをつくってくれた人にも、素敵な歌を届けてくれるミセスにも、全部感謝して生きたい。出来るなら、「ありがとうございます」と言って伝えたい。
「この世が終わるその日に 明日の予定を立てよう」って、どういうこと?
この世が終わるその日に 明日の予定を立てよう
そうやって生きて 生きてみよう
このフレーズが気になった。同じく、ミセスの大ファンの15歳の娘に意味を聞いてみたら、「この世が終わると言われても、まだ分からないから、最後まで希望をもって生きよう」ってことでしょ、と答えた。そうだと思う。また、明日の予定を立てる、というのは、行くと決まってる学校や会社に行こう、という意味とは違って、「自分がしたいことをやると決める」という予定だと私はとった。
では、そうやって生きるとは?と考えてみた。

命が尽きるその瞬間まで、希望をもって、自分のしたいことができる楽しみをもって生き抜こうとする生き方ではないだろうか。それは、一瞬一瞬をとても大切にする生き方だ。次やることをいかに楽しむか?という人生の描き方だ。そうやって生きてみたくなる。現状にとらわれれば、無理に思えても、そうやって生きてみたくなるなら、やってみよう。
そうするときっと、何気ない、別に特別なこともない今日でも、味わい愛でられる様になりそうだ。次々楽しむ今、が続けられれば、その人は結局幸せに生きたことになる。例えば、大金が入らないと幸せにはなれないと思って、ずっとつまらない今、を続けた人は、確かに幸せではない人生を生きたことになる。
この生き方については、曲の終わりの、この歌詞につながっているようだ。
一歩ずつでいいからさ 何気ない今日をただ 愛して欲しい
つないでほしいこと
ズタズタになった芯もほら 明日へと花を咲かすから つないでほしい
最後のフレーズで、”ズタズタになった芯”という言葉が出てくる。リアルな現代社会の様子が浮かぶ。これは、目に見える戦いで命を落とした戦時中に限らない。特に日本は、目に見えにくい攻撃で多くの人が自ら命を絶っている社会だ。ストレス、いじめ、仲間外れ、妬み、無視、見下す、威圧、過労などいろいろ問題が山積みだ。大人も子どもも、心のある優しい人ほど、ズタズタになる。
それでも、幸せに生きたいと願う、心の奥底の”本当の自分”に気付いてほしい、と歌っていると思う。頭で考えて生きてる自分には、気付けない心の奥の”本当の自分”がいるのだ。
辛くて、苦しんで、悩んで、嫌になっている時には、キツイ感情におぼれていて、なかなか”本当の自分”になんて気が付けない。でも、気付いてあげられるのは、自分だけ。何とかして、キツイ感情を抑えて、”本当の自分”の話を聞いて、癒して、守ってあげるべきだ。どうしようもない周り(状況)はおいておいて、そちらへの感情もおいておいて、一番大事にするのは自分でいい。
そして、「つないでほしい」というのは、その”本当の自分”のもつ本心を聞いてあげて、その願いを叶えてあげようよ、ということではないかと思う。命は大切に守っていこうよ、ということではないかと思う。私も、自分は自分でしか守れない、と思わされる時はあった。自分をそこから解放してあげたいと思う時もあった。その通りに行動して、周りからよくは思われなかっただろうけど、後悔はない。

ただ生きてるだけじゃだめなんだ。命尽きる瞬間まで、「今ここに存在したい」「人と関わり合いたい」と願う自分の本心があることを思い出し、大切にしよう。
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